間宮林蔵は茨城県つくばみらい市上平柳に1780年(安永8年)に生まれる。江戸時代末期、樺太はユーラシア大陸と陸続きの半島と信じられていたが、間宮林蔵は樺太(現サハリン)からアムール川流域を探検し、樺太が島であることを発見した。後にシーボルトは樺太と大陸の海を《間宮海峡》と命名し、世界地図に唯一日本人の名前が載る海峡となった。
間宮林蔵は伊能忠敬より測量技術を学び、忠敬が測量できなかった、北方領土の国後、択捉、樺太等の島々を探検し、日本地図全図の完成に尽力した。
生地、茨城県つくばみらい市上平柳に間宮林蔵記念館がある。
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