ゆい偉人館では、新たに「市川泰朴(いちかわ たいぼく)」のページを準備しています。筆者は、当法人の青木豊理事長です。公開に先立ち、その内容を少し紹介します。
市川泰朴とは

市川泰朴は、江戸時代末期の肥前島原藩の藩医です。江戸で医学を学んで故郷に戻り、天保14年(1843年)、賀来佐之(かく すけゆき)とともに死刑者の腑分け(解剖)を行いました。嘉永2年(1849年)には種痘も行っています。漢方だけには飽き足らず、シーボルトに西洋医学を学び、日本の医学の発展に貢献しました。
「医はいやしくも職業や金儲けのためにあってはならない」という言葉も伝えられています。島原市の「ふるさといろはカルタ」には「論より証拠、腑分けは市川泰朴さん」と詠まれ、故郷の偉人として親しまれています。
きっかけは古くからの友人
青木理事長の古くからの友人で、カメラ専門誌『写真工業』の編集長を長く務めた市川泰憲(やすのり)氏が、この泰朴の末裔です。会話の中で、先祖が島原藩の医師で、腑分けの先駆者だったと知ったことが、今回の執筆のきっかけになりました。
島原城に残る腑分けの図
青木理事長は実際に島原を訪ね、島原城の天守閣2階に展示されている腑分け図を見てきました。幅50㎝、長さ5mほどある巻物です(展示は複製品で、本物は別の場所に保管されています。)
島原の町を歩いて
島原城の近くには武家屋敷跡が残り、道の真ん中を清流が流れています。ページでは、雲仙岳を望む島原の風景や、島原の乱の舞台となった原城遺跡の訪問記もご紹介します。
公開をお楽しみに
「ゆい偉人館」での公開まで、いましばらくお待ちください。
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